東京地方裁判所 平成7年(ワ)6096号 判決 1995年11月28日
原告
六矢株式会社
右代表者代表取締役
大沼満
右訴訟代理人弁護士
佐瀬正俊
同
米川勇
同
小川義龍
被告
大塚哲夫
右訴訟代理人弁護士
大治右
同
松田浩明
主文
一 被告は原告に対し、金三六七万六三八〇円及びこれに対する平成六年一〇月二九日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
三 この判決は第一項に限り仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
主文同旨
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告は株式会社であるところ、その従業員となった訴外高橋純子(以下、「訴外高橋」という。)との間で、平成五年一〇月四日、期間の定めなく次の特約つきで雇用契約を締結すると同時に、左記約定のもとに金二五〇万円を同人に交付した。
(一) 雇用契約の特約
訴外高橋が係となる客の飲食代金(掛売分)については、未払いが九〇日を越えた場合は、全額を訴外高橋が支払う。
(二) 契約金 金一五〇万円
ただし、正当な理由なく退店し、あるいは無断で五日以上欠勤したときは全額を返還する。
(三) 貸金 金一〇〇万円
返済方法 平成六年一月一〇日以降毎月一〇日限り、金一〇万円を分割により原告の指定場所へ持参して返済する。
特約 分割返済を一回でも怠ったとき、または原告を退社したときは当然に期限の利益を喪失する。
2(一) 訴外高橋は、右貸金のうち金五〇万円を返済したが、平成六年五月下旬ころ無断で欠勤し、以後出社せず、現在所在不明となっている。このため、前記約定により期限の利益を喪失した。
(二) 前記1(一)の特約に基づき、訴外高橋が負担すべき代金債務は金一六七万六三八〇円である。
3 被告は原告に対し、訴外高橋の原告に対する前記1のすべての金銭債務について、平成五年一〇月四日、限度額を金五〇〇万円としたうえ、連帯保証した。
4 原告は被告に対し、平成六年一〇月二八日到達の書面で、右債務について催告した。
5 よって、原告は被告に対し、右連帯保証契約に基づき、催告の日の翌日である平成六年一〇月二九日から支払済みに至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1、2の事実は不知。
2 同3ないし5は争う。
三 被告の主張
1 本件雇用契約の特約の無効
右特約は、訴外高橋が係となる客の飲食代金について未払いが九〇日を越えた場合、訴外高橋が全額これを原告に支払うというものであるところ、(1)訴外高橋は原告に従属し、原告経営のクラブの顧客を接待する労務を提供する関係にあり、右債務引受契約は、原告が経営者雇主としての優越的地位を利用して、被用者として経済的に弱い立場にある訴外高橋をして右特約締結を余儀なくさせたものであり、(2)その内容も、本来経営者として原告が負担すべき掛け売りによって生ずる未収金回収不能の危険を回避し、自ら顧客から取り立てるべき未収の飲食代金を被用者であるホステスに支払わせてこれを回収しようとするものである。さらに、(3)掛売の飲食物の代金額は、訴外高橋の意思とは関係なく原告と顧客との間で決定されるので、訴外高橋はいわば無制限に顧客の飲食代金を支払うべき義務を負担させられる危険がある。(4)訴外高橋が退店しようとする際には、直ちにに売掛未収金全額の支払をしなければならず、支払ができないときは事実上退職の自由が制約される結果となる。以上のとおり、本件特約は、公序良俗に反し無効である。
2 本件契約金返還の約定は労基法一六条違反であり、無効である。
右契約金は、原告と訴外高橋との労働契約開始に伴い支払われたものであるから賃金の性質を有するものである。本件契約四条違反を理由にこれの返還を求めることは、労働契約の不履行について違約金を定めたものであるから、労基法一六条に違反し無効である。
3 本件貸金残金の請求は、訴外高橋と原告との本件労働契約の根幹部分が前記1のとおり公序良俗に反し無効のものであるから、これを内包する労働契約は全体として無効である。したがって、労働契約と同時に消費貸借名義で交付された本件貸金残金の返還請求は許されない。
四 被告の主張に対する原告の反論
1 訴外高橋が勤務していた銀座のクラブ等のホステスの実態は、店にいるホステス自身が独自のお客を有しており、ホステスが店を変われば、客もその店を移ることになる。このため、ホステスが多くの顧客を有することが店の売上げ増につながることから、この顧客の有無がホステス自体の評価につながりその収入を増加させることになる。このようなホステスについては、雇用の形態をとっていても、その売上げに応じて歩合、バック等と称して、必ずその売上げに応じた支払が店からなされ、多額の月収を得るものも少なくない。
2 また、掛売についても、顧客自体がホステスについているため、その客の信用等についても店以上にホステス自身が熟知していることが多く、中には顧客の住所すら店側が知らないこともある。それでも掛売とするのは、当該ホステスが自分の客であるとして店側に掛け売りを認めるように求めるからである。他方、店側もその保証をホステスに求めるのであるが、それが本件の引受契約となっている。
3 訴外高橋は、補助的な業務をするいわゆるヘルプではなく、歩合制のホステスであり、売上げが伸びればこれに応じてその収入が増加する。また、顧客の飲食代金について無制限に負わせられるのではなく、あくまで、訴外高橋あるいは他のホステスが承諾したものだけを負担させているのであり、掛けの総額についても自分で管理することができるのである。
4 したがって、原告が優越的地位を用いて本件契約を締結したものではない。
また、契約金についても、移転を促すための一時金としての性格しかなく、労働に対する賃金としてのものではない。
しかも、掛売の精算を求めたり、契約金の返還を求めるのは、あくまでホステス側に非がある場合に限っており、これをもって退職の自由を奪うものではない。
さらに、消費貸借契約は、あくまで訴外高橋と原告との間で対等な立場で行われたものであるから、その効力を否定する理由はない。
第三 証拠
本件記録中の書証目録、証人等目録記載のとおりであるからこれを引用する。
理由
一 被告作成部分につき成立に争いがなく、その余の部分については原告代表者本人尋問の結果により成立の認められる甲第一号証、同本人尋問の結果により成立の認められる甲第二ないし第四(枝番号を含む。)、第六号証、成立に争いのない甲第五号証、被告本人尋問の結果によれば、請求原因1ないし4の各事実が認められる。
二 そこで、被告の公序良俗違反の主張について検討する。
(一) 前掲各証拠によれば、訴外高橋を含めた銀座におけるホステスと経営者との関係は、次のようである。経営者とホステスの基本的な認識として、経営者は契約の相手方となるホステスがどれだけの売上げをあげることができるのか、どれだけの顧客をもっているのかが契約内容を決めるうえでの最大の関心事となっていること、経営者としては、顧客を多くもっているホステスを如何に獲得できるかが店の存亡にかかる重大事となっていること、顧客にとって、ホステスと如何に楽しく時間を過ごせるかが最大の関心事であるため、直接接客するホステスの接客能力が重要となり、店側の提供する酒や料理は重要ではなく、また店自体の内装等も料金の額に反映することはあっても、売上げそのものにさほど影響がないこと、ホステスも右のような顧客の考えや店自体の価値を熟知しているから、指名客を如何に獲得し、増やすかに腐心していること、ホステス自らは店を持たない個人事業主という意識をもっていると、そのことから他店によるホステスの引き抜きも激しくなること、右の事情を熟知していた訴外高橋は、平成五年一〇月四日ころ、原告の経営するクラブにホステスとして入店するに際し、訴外高橋の顧客に対する原告の飲食代金債権及び立替金請求債権は、債権発生後九〇日以内に必ず責任をもって解決すること、同人が正当な理由なく退店する場合、右飲食代金等は右期限にかかわらず、一切責任をもって速やかに全額を支払い、原告に迷惑をかけない旨の誓約書を差し入れていること、契約期間を平成五年一〇月四日からとしていること、訴外高橋は、入店契約を締結する際に、原告との交渉により契約金として金一五〇万円を受領していること、右契約金は訴外高橋が中途退店すると原告が損害を被るため、訴外高橋が正当な理由なく退店した場合、連続五日以上無断欠勤をした場合、勤務時間外に同業他店に就業した場合、著しく就業日数が少なく、その他原告に迷惑を及ぼす行為があり解雇された場合には速やかに右契約金を返還する旨約していること、また、同時に原告は訴外高橋に対し金一〇〇万円を貸付け、弁済期を平成六年一月から同年六月まで毎月一〇日までに金一〇万円の分割支払いとし、訴外高橋が退店した場合、原告の承諾なく住居を移転した場合には期限の利益を喪失すること、訴外高橋が残債務を完済しないときは、原告が訴外高橋の給料をもって残債務の弁済に充てること等を約していること、右消費貸借契約は、ホステスが他店を退店するに際して種々の約定等で精算すべき債務を負っているのが通常であるため、その支払のために原告が貸し渡し、移転を容易にさせていること、原告と訴外高橋とは、入店時間を決め、予定売上額(飲食物代金の一ケ月毎の集計)月額五〇万円を売り上げた場合、日額五万円としてこれに業務用の出勤日数をかけたものを給与として支払い、右予定額が一〇万円売上げが増えれば日額も二〇〇〇円増額となり、これに出勤日数を掛けて給与が決定される。逆に売上げが月額五〇万円に満たないときには日額を一〇万円ごとに三〇〇〇円差し引く内容となっていることから、訴外高橋は歩合制のホステスであったこと、原告が右給料の源泉徴収をしていたこと、飲食物は訴外高橋の指示によって提供されることとなっていたこと、顧客の住所や支払能力等を含め、顧客の情報はすべてホステスが管理し、原告では分からない場合があること、原告はホステスに顧客の名刺を出させるように指示していたこと、名刺から連絡先のわかる顧客は原告からその飲食代金を請求するがそれができないときは、担当のホステスが回収すること、原告は売掛を認めるか否かも含めて、その都度担当のホステスに確認し、翌日には必ず担当した客の伝票を渡して、ホステス自身も金額や内容を含めて管理できるようにしていたこと、飲食代金の売掛の処理をする比率は全体の七割前後であること、売掛で帰った客は原告のクラブ名で請求書を出し、振込先は原告の口座であることの各事実が認められる。
(二) 右認定の事実によれば、訴外高橋は、原告に対し原告経営のクラブの顧客を接待する労務を提供するものではあるところ、訴外高橋は自らの顧客を管理しているが故に原告に対する顧客の本件各債務を引き受けたものというべきであり、また、原告の未収金回収の危険を訴外高橋に支払わせて回収しようとする面を否定することはできないが、訴外高橋が指名客の掛売の要求を断ることも可能であり、同人の承諾したものだけを負担することになっていることから、顧客の飲食代金についても無制限に負わせられるのでないことを考慮すると、原告が雇主として優越的地位を利用して、被用者として経済的に弱い立場にある訴外高橋に右特約を締結させたものであるとまではいい難い。
なお、原告代表者本人尋問の結果によれば、原告は訴外高橋の給料債権と同人に対する客の飲食代金の保証債権とを相殺している部分(金額は僅かである。)があることが認められるが、右相殺の効力が問題となるとしても、右事実をもって直ちに前近代的雇用関係にあるとはいい難い。
(三) また、前記認定の事実によれば、本件契約金は、ホステスの移転を促すための一時金としての性格であると認められ、被告主張のごとき賃金の性格を有するものとは認め難いから、労働基準法に反することを前提とする被告の主張は失当である。
さらに、前記違反事由をもって契約金の返還を求めるとしても、訴外高橋が正当な理由がなく退店した場合等その責めに帰すべき事由をもって返還事由とし、同契約書四条には具体例が記載されているから、右事由をもって基準があいまいであるとはいえず、また、訴外高橋の退店の自由を制限するものではなく、また、原告の一方的な判断に委ねられているとは解されないから、公序良俗に反するものでない。
(四) 前記認定の事実によれば、本件消費貸借契約についても、訴外高橋と原告との間で対等の立場で締結されたものと認められるから、公序良俗に反する旨の被告の主張は失当である。
三 以上のとおり、他に公序良俗に反すると認められる特段の事情のない本件においては、原告の本訴請求は理由がある。
よって、原告の請求を認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を、仮執行宣言について同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官玉越義雄)